死にたがりの女。

3年ぶりの投稿です。

タイトルの通り、死にたがりだった私の2年の話をまとめたくブログに書き起こしました。

また文才能力が欠けているため醜いところもあります。

ご了承ください。

内容としては3点。

❶きっかけ

❷死について考え、起きたこと

❸死にたがりだった、過去形になった経緯

注意事項としては所謂、自己満です。

ただ長年、考えてきた「死」について行き着いた現在をどうしても残したい。

そんな女の独りよがりです。

そして、長文になるでしょう。興味がある方だけ見てください。

興味ねえ人は各位、好きなことをしてお過ごしください。

そしてあくまで個人的な意見のため「ふーんそうなんだ」くらいの感覚で見てね。

 

❶きっかけ

結論、メンタルが純粋にやられてしまいました。

コロナが感染拡大し好きだった仕事が0件。

転職した先は地獄の始まりでした。

主に同性からの嫉妬による言葉・行動の暴力そして管理職という責任とプレッシャー。

今思えば早く逃げて辞めれば良いものの洗脳状態で死にかけで仕事していました。

毎日9時に出社し22時過ぎに退勤。

当時暮らしていた部屋はほぼ寝る部屋。何万という家賃を払い続けていました。

純粋に苦しくて逆らえなくて攻撃してくる対象から逃げられず

仕事が終われば優しくされ、許してしまう自分。

こんなもん、DV許す女みたいなポジションでしたわ。

10代の頃にも社会人として初めて入社した先でパワハラ・セクハラを受け

泣き寝入りしうつ病を発症したわけですが

ここでも24歳になり再発・加えて適応障害を発症。

主な症状としては不眠・死にたい・涙が出てくる・呼吸しづらい・過食嘔吐・OD

深夜徘徊・首吊り練習

職場では陰湿ないじめを数人から受け続け泣きながら作業当たり前。

 

生きてる意味、一切わからなくなりました。

この辛さから解放されるには死ぬしかないと思い込んでました。

住んでいた部屋が7階だったこともありベランダに跨り落ちようと複数回試しました。

結局、何しても勇気がなく死ねず。外で明け方を待つ時もしばしば。

朝は大量に飲んだ薬で気分最悪、トイレで涙・胃液・吐瀉物でぼろぼろになりながらも

出勤し泣き、攻撃を受け、残業をし、帰宅。

こんなルーティンでした。

 

実家に帰省するも気が休まらず、姉家族に会うものの

なぜ、私は幸せになれないのか?辛いのか?

自問自答するたび自分の首を絞め苦しんでいました。

 

毎日「死にたい」口癖でした。

一人。部屋で誰の返事も勿論ない。

そして泣き、自殺未遂を繰り返す。

あの当時は追い込まれすぎて逃げ道が分からず只々地獄でした。

 

初めて複数人、心許せる家族・友人にsosを出した日があった。

すぐ連絡が返ってきた。電話をしてくれた人も居た。

逃げ道を作って誘導してくれた人も居た。

福祉関係をしている人たちからは受けられるサービスについても

いっぱい教えてくれた。

 

そして、死ぬな。そう言う人が何人も居た。

ただ死ぬことに肯定するものの最後くらい一緒に酒飲んで過ごそうと言った人も居た。

今思えば私と酒飲むまで死ぬなよ、それまでは生きろ、のサインだったのかも。

 

なんとか周りのサポートもあり徐々に逃げる手段を確保し

過去、お世話になった会社の再入社が決まった。

ここまで行き着くまで1年くらいかかった。

命からがら逃げた。なんの未練もない。

 

転職に無事成功し同期、先輩、上司、

そして当時入社した時に居たメンバーも健在。

再入社もあって仕事内容も奇跡的に覚えていたため

成績もよく程なく、少し専門知識が必要で仕事ができる人が引き抜かれる

部署の異動も決まり、

ここでは私自身を大切して必要としてくれる場所と感じ

凄く嬉しくて泣きそうになった。

研修もみっちり組まれ忙しく少ししんどさはあったけれど

地獄を味わったあの場所とは天国のようでした。

人間関係も恵まれ、順風満帆。

 

ただ地獄のトラウマなのか

もしかしたら裏切られて攻撃されるかもしれない。

その思いもありました。

 

治療をしていることは会社に対し黙っていました。

精神疾患に対する偏見もこの世の中たくさんありますから。

不安になれば薬を大量に飲み、次の日はしんどい。

漠然として不安から死にたい。まだ残っていました。

 

とある日、発作が勤務中に起き過呼吸になりました。

周りは騒然、その時の上司がすぐに駆け寄ってきてくれたのは覚えています。

すぐに医務室に移動した時に

病気を隠すにはもう限界、と思い

勇気を出して打ち明けました。

上司は全て話したうえで現状を受け止めてくれた。

私からすると、病気を黙っていた罪悪感と

受け止めてくれた上司に対し何も返せずただ泣くだけでした。

 

そこからは会社側で負担にならないよう配慮した

働き方を提案してくださり非常に助かりました。

 

別に家庭環境が悪いわけでもない、

人間関係も悪いわけではない、

純粋に色んな人からの愛情を受けて育ってきたのに、

こんな不自由もなく生きているのに、死にたい。なんて気持ちが消えなかった。

 

周りからはよく、恵まれた環境で何が不自由なの?

なぜ死にたくなるの?分からない。贅沢だ、と。

 

結局、何に対して死にたいのか自分でも分からない。

漠然として不安に襲われ苦しむ自分がその当時は理由なんて分からない。

 

 

❷死について考え、起きた事。

自分が出した答えは原因の追究ではなく、

死を迎えあるにあたり、準備をすることでした。

目標は30歳で死ぬ、(現在26歳)

タバコを吸って不健康になろう、ごく稀に吸っていたタバコは

毎日大量に吸いました。ODも繰り返しました。

実家に戻ってからはベランダから飛び降りてやろうとしました。

葬式に用意してほしいもの、してほしいことリストアップしました。

無茶なシフトで仕事し心身ともに追い込んでやりました。

 

何一つ死ねない。ただしんどいだけ。

そんな日々を毎日繰り返した。

 

ある日、無理が集って

また職場で倒れかけました。

さすがの上司も私の行動に異変を感じていたようで

このお話はつい最近本人から聞きました。

とりあえず顔が死んでいる、無理してるのは薄々感じていた。と

 

そして夏が始まったばかりの7月のある日、

主治医から言われました

「一旦、立ち止まって休もう。会社も休めるように診断書書きます」

突然のドクターストップ

正直なところ当時の私は元気ですけど?しんどいは気のせい、なんで?

そのまま診察が終わり会社へ

その日からいきなり休職生活がスタートした。

 

何人か事情を知っている上司から連絡が来た

一番、印象が残って泣いたメッセージがある。

「私はね、本当に元気になった貴方が見たい」

「みんな、貴方のことが大好き」

寝る前に届いた言葉に大泣きした。

 

 

❸死にたがりだった、過去形になった。

私を大切にしてくれる人が居るんだ。

認めてあげないと。そう思いました。

 

休職序盤は今までの疲労、気持ちの解放で

しんどかった。

中盤は色んな人と遊んだ、優しく受け止めて抱きしめてくれた。

後半は元気になりすぎて遊びつくした。

 

自分の思いを紙に記録し続けました。

なぜ、辛いのか死にたいのか原因を見つける事にしました。

 

そこで出た私なりの答えが

「何事も悲観し、辛い・悲しい・寂しい・しんどいを全て全力で受け止めていた」

私自身がLGBTQに属す事で姉夫婦のような両親のような友達夫婦のような

幸せな結婚式、家庭は私にはできない。

辛いニュースも出来事も自分の身に起きたかのように全て吸収していた

情報源となるsns・テレビはなるべく観ないよう心がけた。

 

どんな私でも私は可愛くて素敵で魅力的なんだ、

肩身が狭くても幸せはいくらでも探せばあるし

マイナスの部分だけを切り取って悲観するのはもう止めよう。

傷つけるために行ったことも大切な私を守るために止めよう。

いくら他人から認められても拭えない不安は

どんな自分でも自分を認めてあげれなかったことで起きたことだった。

 

本当に今まで苦しかった、死にたかった、消えたかった、

傷つけてきた、大切にできなかった、必要ない存在だと思ってた。

 

ありのままの自分を愛していこう、そう気づけた時には

死にたいなんて言葉、死にたかった。に変わってた。

 

BTSのこの曲がとても響きました。

youtu.be

 

一部歌詞の意味ですが。

もしかしたら誰かを愛するよりも難しいのは

自分自身を愛することだろう

素直に認めることは認めて

君が決めた基準は君にとってより厳しいものだ

君の人生の中の年輪

それも一部だし君自身だから

もう自分を許そう

捨てるには俺たちの人生は長い

迷路の中では自分を信じろ

 

過去形になったタイミングでこの曲を改めて聞いた時

もう許そう、認めて受け入れて生きてみよう

そう思いました。

 

現在は非常に体調も落ち着き薬の量も減り

無事復職し仕事をしています。

休職なんて甘えだ、贅沢だと言われ、思いながらも

始まった長い長い夏休みは

本当の私を探すための貴重な時間でした。

 

 

病気になるというのは、なりたくてなるものでもなく

なって良いことなんかどの病気何一つなく

元気だった頃に戻すまでは非常に時間がかかります。

 

死にたがりの女は自分と向き合う時間を作り

受け止め、認め、苦しみながらも答えを出した結果。

死にたかった女になりました。

 

最後に言いたい、今までの私よく頑張った。傷つけた。

ごめんね、許してね、そして生きていくことを決めてくれてありがとう。

 

ここまでご覧いただきありがとうございました。